現在の混乱と国民の不満の原因は3.11によるものではない。あれは大規模な自然災害であって、我が国の民は自然の為した事に文句を言うような精神性を持たない。やるせなさを持ちながらもまた立ち上がるのが、この国の民であった。そういう事情があるから、日本人は堪え忍び、いつか来るよりよい未来に向けて、実直に、不断の努力を重ねる民族なのである。
 現在の混乱と国民の不満は、あくまでも3.11とその後の機構としての国家の一連の対応の不確かさを「契機に」大きな広がりを見せたに過ぎない。それはかねてよりくすぶっていた機構としての国家に対する不信感や、いまの閉塞した日常を脱したいという潜在にある気持ちを膨らませ、表出させ、奮起させた。しかし結局のところ、そうした感情は個々を無益なもがきに至らしめたにすぎない。
 国民が悪いのではない。国民の代表が組織する政府が悪いのである。代表制とは、国民それぞれには政治や政策を行う能力がないため、それが可能な能力のある人物を選び、代わりに運営させる制度ないし体制であるはずなのに、その代表に能力がないのだ。選んだのは国民であるというのは明らかな欺瞞である。なぜなら彼らはときに巧妙にその能力のある振りをし、嘘を吐き、批判はのらくらと翻していたからだ。国民は詐欺に遭ったようなもので、云わば被害者である。法律には反せずとも、法には悖る。正当ではあれども、正統ではない。国民が自らの手で何とかしなければと考えるのは当然の成り行きである。そしてその仕方を知らない彼らは、社会に混乱をもたらす。混乱ないしアナーキーの後には統制された社会が到来するという見解は、歴史上の多くの偉人が述べてきたことである。実際にいま、国民はその質には目を向けず、盲目的に強烈なリーダーシップを求めるようになってきた。かくて国民は、不安から逃れるべく自らの手で自らの自由と尊厳を奪い去るのである。そして賞賛に値するこの国の形式化されていない法は、覆えされる。
 不幸なことである。生きるためにどこまでも努力し、よきいまと未来のために身を粉にして働くことのできる素晴らしい民が、いま自らの努力で自らを貶めようとしている。安易にリーダーならぬリーダーの吹くラッパの音に導かれ、献身的に破滅の道を歩もうとしているのだ。この国の純粋な民は、嘘吐きを見抜く眼を養っていなかった。従って、不安の中で自らの信じる「正義」に身を捧げ、しかしそれが身投げであることに気づかないのだ。
 やるせなさは時にある偽の標的を非論理的に見出す。それは特定の企業、民族、集団、制度、風習、ひいては物質や現象そのものまで、それを悪の権化であるかのように錯覚させ、それに打ち勝てば自らは幸福になれると思い込ませる事態を引き起こす。これもまた不幸なことである。かつてその品性を最高の賞賛を以て評されたこの民族が、いまや品性を自失しているのである。
 ここで言おう、国民には夢が必要である。小さな夢でもいい、必ずそれをやり遂げることが自らの幸せであると考えられる夢が必要である。自らを自らの手で確立させられる寄りどころが必要である。出口のない小部屋から解放し、自由に彼らを歩ませることが必要である。ときに転びながらも立ち上がり、その二本足で光の射す方へと歩むことが必要である。ときに競争し、ときに協力し、ときに助け合いながら、光を掴むために努力奮闘することが必要である。誰かに作られた舗装されていて一見安全にみえる、必ず歩むことを強制された道ではなく、たとえ困難であっても自らの切り開く道を歩む喜びを取り戻すべきである。
 夢は、実際のところ「眠り」の中でしか観ることができない。平安なくして夢を観ることはできないのである。したがって我々は、この国にまず平安をもたらしたい。いまと未来を生きるためのビジョンを示したい。未来をもたらす仕方を与えたい。夢は個々の国民が自由に描けばよい。この国の国民は、自らの足で必ず立つことが出来ると確信している。

 道は拓ける。ともに道を拓こう。

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