人の性格がそれぞれ違うように、人のつくる地域もまたそれぞれ違うものであることは言うまでもない。そしてその本質を理解出来るのは、その地域に密接に関わる者であることもまた、今更言うまでもなかろう。地域のことを知らない者が、あるいは地域のことを知ろうとしない者が、その地域の設計図を書こうとすれば、その地域は地域らしさを失ってしまう。形式化された地域の強みと表されるものは、地域の本質的な良さを必ずしも表していないからである。もっと言えば、人間が地域そのものを「設計」することそれ自体がおこがましい行為である。地域の本質的良さは成熟の産物であって、それは人間の誤りやすい抽象的理性が考案するものよりもずっとその魅力を引き出している。地域政策とは、地域の「設計」を行うためのものではなく、あくまでも地域らしさを引き出すためのものであるべきである。したがって、地域はそれに最も密接に関わる地域住民による自治によって、その地域らしさを念頭に運営されていくことが望ましい。
 このような理由によって地方自治ないし地域の自治は擁護されうるものだが、ここで必ずと言っていいほど、そうであるから地方分権を行うべきだという意見が飛び出してくる。確かに地方自治は地方自治体の活動の範囲を確保しなければならないものであるが、地方分権の詳しい内容ないし範囲に関する議論は、多くの場合曖昧にされたままに置かれているように感じる。そしてこの曖昧さは、地域住民による自治を、場合によってはむしろ狭めてしまう事態をもたらす。
 どういうことかと言えば、地域の自治の主体は誰かという問題を棚上げにし、無闇に地方自治体の権能を強くしてしまえば、地域住民の自治的な活動の自由は、地方自治体に奪われてしまうということである。つまり、地方自治体つまり地方政府に恣意的な政策の遂行を赦すほどの権限を与えることになれば、地域住民の自由な活動の結果としてつくられるものであるはずの地域らしさが棄て去られることにも繋がりかねないのである。語気を強くして言えば、これは地方政府による統制を意味し、地方自治とは似ても似つかないものである。したがって、地方自治であるから地方分権を進めよ、ということには必ずしもならないのである。
 要するに中央にせよ地方にせよ、政府の暴走を食い止める法や制度、仕組みを考えなければならず、昨今の地方分権に関する議論はそれが抜け落ちているために危険を伴うということである。訳の分からない勢力が大量に入り込み、その代表が中枢を牛耳ることは、中央政府よりも幾分も小さな地方政府の方が簡単であることは容易に想像がつくだろう。実際に国家の法を蔑ろにした条例の制定は各地でみられるようになってきた。このような状況のまま手放しに地方分権を推進すれば、地方政府によって地域が全くの別物に作り替えられてしまうことも現実的にあり得る。そしてついには国家すらもまた、作り替えられてゆく。
 それでは、「地方分権」なるものを大前提としたとき、地域住民による自治を守るための「制限された地方分権」を確立するためにはどうすれば良いか。ヒントは、ハミルトン、ジェイ、マディソンという「アメリカ建国の父たち」の作品『ザ・フェデラリスト・ペーパーズ』にある。この作品に書かれていることは、アメリカ合衆国の法や諸制度を作成するための基礎となったものである。そしてアメリカ合衆国では、実際に権力の暴走を未然に防ぐための様々な仕掛けが法や諸制度の中にみられる。本書において注目すべきものを一つ取り上げるならば、第一にはチェックアンドバランス、つまり政治権力が特定の部門に集中することを避け、権力を幾つかの部門に分立させることで、相互に抑制させ、均衡を保つ考え方であるが、ここで注意を払うべきは、その構造の部分もさることながら、根底に流れる観念ないしは叡智である。敢えて特定の文言の引用は控えるが、そこには人間の本質と、それを踏まえた統治のあるべき姿に関する知が展開されている。それは永きに渡って人類に継承されてきた紛れもない叡智であった。私が言いたいのは、アメリカ合衆国の諸制度をそのまま我が国に輸入すべきということではない。そのようなものは、その国ないし地域の慣習、風習、風土、そして「らしさ」を考慮していないため、うまく行くはずがない。しかし、その考え方には学ばなければならない。叡智は取り入れなければならない。人間を守るため、地域を守るため、ひいては地域の総体である国を守るために、地方自治体なれどもその権力の暴走する可能性は、予め潰しておかなければならないのである。
 こうした考え方は、実のところ我が国においても少なくとも明治の頃からあった。大日本帝国憲法の起草者の一人である伊藤博文がその傍らに『ザ・フェデラリスト・ペーパーズ』を置いていたことは有名である。そして大日本帝国憲法は、その構造的な欠陥とは言わないまでも必然として存在した欠点を衝かれ、それを濫用した者たちによって我が国は破滅寸前に追い込まれたが、日本国憲法は(それが全体としてどのような類のものであれ)この欠点をあらかた克服している。少なくともこの点では、日本国憲法は叡智を継承したといえよう。そして地方自治体にも、その叡智はもたらすべきである。政治権力の暴走を抑制することは、国家の、地域の、そしてそこに住まう人間の、持続的な発展ないし成長のための最重要事項である。アレクシス・ド・トクヴィルは言う。「連邦主義者(フェデラリスト)が最初政権をとったことは、アメリカ合衆国の出生にともなった最も幸運な出来事であった」と。
 地域を支えるのは誰か。我々地域に住まう者である。もし地方分権なるものを進めるならば、地方自治体の権限の範囲をこそ議論しなければならない。そして地方政府の暴走する可能性を極限まで抑えるべく、法や諸制度、仕組みの整備を行わなければならないのである。
(文責:遠藤司)

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